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城をとる話

司馬遼太郎はへそまがりである。司馬の作品でよく見られる表現に、”とは思わない”というのがある。その使い方は、たとえば、”○○は、「~をしよう」、とは思わない。”といった感じで読む側に肩すかしを食らわせるようなやり方である。こんな書き方は司馬のクセという理由以外にも、何か意味があるのではないだろうか。


よく観察して読むと、「~をしよう」という部分の内容は、そのときの状況での常識的だと思われる対応や反応だったりする。それを”思わない”と書くことで、今の人と当時の人の考え方の違いをあらわしたかったのだろうか。それとも、その登場人物の非凡さを強調したかったのか。答えはわからないけれど、戦国時代や明治維新という非常事態を生き抜くにはマトモな考えではとても無理な気がする。


そんな疑い深くねじ曲がっていて、しかも自由な考え方を、現代の人に身につけて欲しいという気持ちが、肩すかし表現にこめられていると決めつけるのは司馬遼太郎を買いかぶりすぎているだろうか。


この作品はタイトル通り、兵力も金もない1人の男が城をとるという、戦国時代でさえありえない話である。その男、車藤左の才能は行動力と奇妙な魅力だけだが、その2つが最強の武器であるのは今も昔も変わらない。またたく間に城下町の人々を味方につけ、いつのまにか仲間が集まる様子はとても気持ちいいし、ワクワクする。最後の最後まで潔い藤左の生き方は、「失敗したら、またゼロからやり直せばいい」と語る現代の成功者たちに通じるものがある。今のサムライたちが本当にそう思っているかどうかは疑問は残る。できれば、その後に、”とは思わない”、という言葉はつかないでほしい。



著者: 司馬 遼太郎
タイトル: 城をとる話